森川鉄道(架空)

8000系


・森鉄での設定

戦後、人々の生活が安定するようになってくると、
鉄道には、行楽客輸送という新たな仕事が生まれました。
森鉄は西港線や千林線という観光路線を有しており、また多治見線・名古屋線の電化が迫っていたことから、
森鉄では会社のシンボルとなるような特急車と急行車の開発を開始しました。
そして、急行用車両として開発されたのが、この8000系です。

8000系は国鉄から部品提供を受けて製造されており、足回りなどは古いですが、
車内設備は立派なもので、利用者からは好評でした。整備班からは嫌われました。
特に編成中に含まれる1等客車は、特急顔負けのサービスを提供していました。
1968年からは国鉄が運行する急行「あずみ」の森川編成に充当されるようになり、一躍脚光を浴びました。

そんな8000系ですが、基本的には国鉄お下がりの走行機器及び戦前からの設計思想の車体のため、
1980年代の前半にはもう疲弊を感じさせるようになりました。
次第に運用が減っていき、1985年には「あずみ」も国鉄型に置き換えられました。
それでもJR乗り入れの快速に徹していましたが、1990年には115系が入線し、
8000系はローカル輸送に徹することになりました。

しかし1994年、名古屋-富山の急行「立山」が新設されることになり、
8000系はそのアクセス列車として再び本線に返り咲きました。
立山は一日一往復なので、8000系も一日一往復だけの運用ですが、
ヘッドマークを付けて元気に走る様は沿線からもファンからも人気で、
いつしか「爺電(じじでん)」と呼ばれるようになりました。

・模型に関して



GMの「身延線低屋根四連」キットを組みました。殆ど素組みです。
ウェザリングをきつめにかけて、ちょっと疲弊した感じを出しています。

車両風景



▲4連で活躍していたころの8000系。行楽列車として西港線によく入線していた。



▲新旧同僚の並び。8000系は立派なヘッドマークを付けて、名古屋へ向かう準備をしている。



▲いつしか1等車は使われなくなり、車庫の片隅で倉庫として使われるように…


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