森川鉄道(架空)

東濃モハ103


東濃モハ103は、RM LIBRARY72「東濃鉄道」RM MODELS130号(2006年6月号)などの
文章や写真、イラスト、そして、インターネット上で公開されている画像や文章を
かなりの部分で参考にし、モデル化しています。
そのため、ここで書かれている文章等の中には、広い範囲で引用が含まれています。
引用に関して、何か問題等があるようでしたら、私(管理人:211)までご連絡下さい。

・東濃モハ103について

現在の東濃鉄道は、岐阜県東濃地方に路線網を広げるバス会社であり、
東濃-新宿の高速バスなども有する会社ですが、
かつて多治見〜笠原間「笠原線」と土岐津〜東駄知間「駄知線」の
二つの鉄道路線を保有し、運行していました。
「笠原線」は非電化路線で、旅客営業は早々に無くなりましたが、
貨物営業は多治見駅がコンテナ取扱のみになる昭和53年まで続けられました。
一方の「駄知線」は電化されており、唯一の東芝製電車である「モハ101・102」はじめとする
個性的な電車達が活躍していましたが、昭和47年の水害で不通となり、2年後廃線となりました。

東濃モハ103は、元々南武鉄道が用意したモハ100形で、
買収国電となった後に払い下げられて東濃にやってきました。
入線時は制御車でしたが、昭和28年に東芝で電装され、モハ101・102の追番となりました。
後に貫通扉設置による片運転台化が施され、駄知線の廃線まで活躍した後、
高松琴平電鉄に購入され昭和の末期まで活躍しました。

因みに、同じ東濃鉄道の電車は廃線時全て他社へ渡り、
東芝製電車のモハ101は高松琴平電鉄で、なんと平成12年まで活躍をしました。
(RMLIBRARY72「東濃鉄道」より大部分を引用)

・模型に関して


トミーテック鉄道コレクション第二弾「フリー モハ103」からの改造です。
恐らくこのモハ103は南武鉄道のモハ100形をモデルにしており、
東濃モハ103に「似てないことも無い」感じだったので、素材としては上々でした。

まず、必要ない部分を削ります。ついでに、乗務員ドアと客用ドアをくりぬきます。
また、乗務員ドアは上端が客用ドアと揃っているので、少し位置をずらします。
手すりの穴を開け、屋上機器はプラ板などから作り直します。

銀河モデルやTAVASAのパーツで飾り付けをして、車体の工作は終了です。
動力装置にもできる限りのパーツをつけます。
また、鉄道コレクションの動力ユニットは目立つので、黒で塗っておきます。

このモハ103は、初期型として製作しました。
側窓は全て二段窓にするため、真鍮線でそれらしくしました。
若干細い感じもしますが、とりあえずはこれで妥協です。



完成した姿を見れば判りますが、実は乗務員ドア・客ドア共に失敗しています。
乗務員ドアはうまくはめ込めましたが、途中で力を加えすぎて、
半乾きの瞬間接着剤の中へ沈んでいます。なので、表面がぼこぼこです。
また、客ドアはサイズがどうしても合わず、結局外吊りになっています。
もちろん、実際は外吊りなんかじゃありませんから、印象が全く違ってしまいました。
これでは、東濃モハ103“タイプ”と言わざるを得ませんね。

ちなみに、塗装はGM5番(クリーム1号)と船底色です。
ちょこっと印象が異なる感じなので、船底色に肌色を混ぜたぐらいが丁度いいかもしれません。

車両風景


▲出発するモハ103 丁度、背後の森鉄線をEF14+15の回送列車が通過していくところだ。



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