森川鉄道(架空)

3000系(90200系)


・森鉄での設定

戦後、国民生活が安定し、人々の足が再び行楽地などに向かうようになってきました。
もちろん、当時は移動は鉄道が主役。各地の私鉄で多種多様な「ロマンスカー」が登場しました。

森鉄は沿線に観光地を数多く有し、戦前より特急列車を運行していましたが、
車両の折り合いが付かず、運行本数も少なく、とても不便なものでした。
戦後になって、観光輸送の需要が高まってくると、森鉄社内でも「特急専用電車」構想が持ち上がりました。

構想が固まると、森鉄車庫内に専用部門が設けられ、実現に向け本格的に活動が始まりました。
開発メンバーは欧米へ渡り、車両開発やデザインのノウハウを学びました。
そうしてできた「特急専用電車」が90200系です。
90200系は試作要素を多く含み、当初はもう一編成製造する予定でしたが、
予算不足から断念、90200系に多少手直しを加えて登場させたのが3000系です。

3000系は特急「サンライナー」として、森川-西港(多治見線開通後は多治見-西港)の定期運用に就きました。
小柄ながら俊足な性能を持ち、「シティランナー」という愛称名や鮮やかな塗装と共に瞬く間に人気を博しました。
当初より特別料金不要の特急として運転されたため、年中を通して観光客や地元の人に利用されました。
しかし、行楽シーズンには収容能力の低さが目立ち、通路やデッキまで人が溢れるなど、
人気故の問題も発生しました。

1995年、森鉄では3000系の全面改修を実施。
足回りも綺麗に整備され、120km運転対応となるなど、3000系は再び進化しました。
同時期社内の運用も見直され、「サンライナー」は多治見-新宿に運転区間を縮小、
新たに「都市特急」という種別を与えられ、地元に密着した輸送を行うようになりました。


・模型に関して

オールペーパー、つまり「紙製」の完全自作車両です。
図面はJw-CADで作成し、ペーパークラフト用紙に印刷して組み立てました。
簡単ながら、室内の椅子や仕切りも製作しました。
製作に関して、ちょっと工夫した点などは3000系の製作ページで詳しく説明してありますので、
宜しければ覗いてみてください。

製作後の反省点をいくつか…

・車高が揃わない、傾く
 あらかじめ、補強材の位置・床板止めの位置も作図しなければいけませんね。
 床板の強度不足も問題です。今作では修正しきれていません。
・車体が歪む
 明らかに強度不足です。ペーパーを過信しました。
 紙の目を間違えたのも失敗です。車体は全体を二重にしたほうが良さそうです。
・屋根カーブが揃わない
 どうも、窓を切り抜いてから車体を曲げるより、車体を曲げてから切り抜いたほうが良いみたいです。
 …と気がついたのは4両全ての窓を切り抜いた後だったわけですが。
・窓ガラスと内装が遠い
 これも、補強材を窓下に入れてしまったために起こりました。
 それ程目立たないのでまだ助かりましたけれども。

それでも今回は、4連の完成を見ることができました。
タイムリーでRMMが「紙車両」特集をやってくださったお陰ですね。


▲上の車両が多治見方、こっちが森川方の先頭車です。
 多治見方の先頭車には、KATOカプラーを真鍮線で止めた自作の連結器を装備しています。


▲その連結器を生かして撮影した、回送シーンです。
 故障帰りでしょうか?


▲先頭車は両者とも、TOMIXのMカプラーから取った磁石を接着し、
 ヘッドマークの着脱を容易にしました。(奥は特急「森川花火」手前は臨時「ナイスホリデー」)


▲車高は全然違いますが、塗装で上手くラインを合わせたので、それ程目立ちません。
 …カメラの性能が低いからでしょうけど。


▲ちなみに、編成内容は、
←多治見方 クモハ+サロ+サハ+クモハ 森川方→ となっています。サロは半室が売店となっています。


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